第3回 澄和Futurist賞 表彰式の様子
10月8日(澄和の日)に毎日新聞紙面を通じて発表した第3回澄和Futurist賞(主催/一般財団法人 澄和、後援/毎日新聞社)。
その表彰式を去る2018(平成30)年10月26日(金)に東京都千代田区内・如水会館にて開催しました。
3組の受賞者の皆さまをお迎えし、また、来賓として財界をはじめ、公益法人、スポーツ界や芸能界などから約200名の方々が出席され、賞のサブタイトルにあるとおり、ゆったりと和やかな式典となりました。
澄和Futurist賞は、「人の和」「自然との調和」も含めた広義の平和関連テーマに地道に取り組む方々を応援するためのものです。今回はこれまでにない「国際支援活動」「異文化交流」などの分野にまつわる方が選ばれ、またより幅広い世代の方が受賞されました。
一般財団法人 澄和がめざす「和む世界」とはすべての命が尊重され、共存する環境。この顕彰事業を軸に他の事業と組み合わせながら、私たちが描く「和む世界」の実現に向けて様々な方々と手を携えながらじっくりと取り組んでいきます。
引き続き澄和の活動にご注目ください。よろしくお願いいたします。
受賞者の皆様からのコメント(要旨)
MISIA様私は長崎県で生まれまして、幼少より平和教育を受けて参りました。また自然豊かな場所で暮らしておりましたので、幼少期から私たちの生活は自然の恵みなしでは成りたたない、と肌で感じ、環境問題にもおのずと関心を持ってまいりました。そして、音楽を通してアフリカの貧困を知り、活動する中で紛争問題も環境問題も、そして貧困の問題も繋がりあっている、と感じるようになりました。これまでにアフリカの様々な国を訪れ、色彩豊かな文化や音楽、そして豊かな心やはっとさせられるような考え方や言葉に出会ってまいりました。その中でもとても印象的だったことは「音楽のあるところに戦いはない」という言葉です。「共に歌い合うということは、共に平和を祈り合うということである」というメッセージであると受け取りました。つい先日、来年8月に横浜で行われるアフリカ開発会議・TICAD7の2度目の名誉大使に就任させていただきましたが、この想いを胸に、これからも歌い続けていきたいと思います。この賞は、企業人である理事長が財団を作られ、平和への想いを具体的な形にした結果だと理解しております。企業や個人が社会を知り、世界を知り、平和や未来のために活動する。そんな「未来理想主義」とでもいうようなものを、仕事をする上でも根底に持って活動していくということがとても大切と思います。私もこれからも自分にできることを、子どもたちのため、社会のために、音楽を通し、歌を通して、がんばっていきたいと思います。
山下 泰裕様これまで多くの人々との出会いを通して教えられ、導かれ、それぞれの方々の生き方に触れて私自身が少しずつではありますけれど人間として成長していったような気がいたします。一番大きな出会い、私の人生に一番大きな影響を与えたのが、東海大学創設者 松前重義博士でした。博士は亡くなられる前に私を病院のベッドに呼ばれました。「君を今まで応援してきたのは、柔道を通して世界の若人と友好親善を深めてもらいたい、それだけじゃない。君には将来スポーツを通して世界平和に貢献できる人間になってもらいたい。僕はそんな思いで君を応援してきたんだ。この僕の気持ち、わかってくれるか」これは松前先生との最後の会話になり、私の人生のミッションのひとつになりました。これまでの発展途上の国々への支援・交流は、多くの方々のご支援、ご理解、支えがあってこういった事業を展開することができたと思っております。支援はもちろん大切ですけれども、私にはもうひとつ、思うものがありました。そういった柔道の支援・交流を通して「柔の心」を世界の国々に伝えてゆく。これはもちろんだけど同時に「和の心」「日本の心」を世界に伝えていく。ほんのわずかでもいいから、細い橋でもいいから日本と世界を結ぶ架け橋になる。そんな事業を展開していきたい。こんな思いでやってきました。この澄和Futurist賞に恥じない活動をこれからも展開していきたい、そういう思いで一杯でございます。またこれからもがんばって参りますので、どうぞご指導よろしくお願いいたします。
嘉瀬 誠次様(代理:長男 晃様)父は花火屋の家に三代目として生まれ、戦前から花火をやっております。父はいろんな新しい花火を作ってきました。正三尺玉、ナイアガラ、ワイドスターマイン。また日本の代表として花火を打ち上げてほしいと依頼され、1984年ニューオーリンズ万博での打ち上げからわずか1ヵ月後のロス五輪で打ち上げてくれという無理な依頼も「閉会式ならなんとかします」と上げることができました。その後、色々海外に行き、思いのある花火を打ち上げてきました。父は戦争のときに陸軍として北の方に参り、そこで終戦を迎え、ロシア軍の捕虜になりました。シベリアに送られて強制労働をした3年間、多くの仲間が亡くなったそうです。父は帰ってくることが出来ました。そして心の中、体の中に思いがあったそうです。亡くなった戦友のために花火を上げたい。ある方にこの話をしたら、それを実現しようと動きだしまして、1990年、ロシアのハバロフスクに行くことが出来ました。その準備の最中戦友に報告にいったとき、戦友の顔が頭の中に浮かんできて泣いてしまったそうです。その涙と共に出てきた花火が「白菊」です。「白菊」は父の深い思いがこもった花火です。私も父から教えてもらって打ち上げています。でもこの「白菊」を打ち上げるときはとても重い気持ちで上げています。そして「白菊」を上げていると時々何か感じることがあるんです。気配を感じ、そして見ることもあります。父は本当は本日この場に来たかったそうです。でも大変喜んでおりました。そして父と共に、亡くなった戦友の方たちも喜んでくれていると思います。
表彰式・パーティーの様子
これまでの受賞者の皆さま
<第8回>
坂本 龍一様(当日代理 エイベックス・エンタテインメント副社長 若泉 久央様)
宮本 亞門様
大石 芳野様
叶 匠壽庵(社長 芝田 冬樹様 当日代理 御令息 芝田 元太様)